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●夫の建築設計事務所『ノセ設計室』と、自宅を兼ねた京町家を
改修しながらの暮らし。


●『ノセ設計室』

それはまず、においから始まったのだ。木のにおい。それも新しい木のにおい。小学生のときに家を新築した、そのときと同じにおいが当時の気持ちまで蘇らせる。

初めて訪れる場所なのになぜか懐かしく感じるのは、この木のにおいのせいなのだろう。京都の町家を改造して住んでいるというから、どんなにおしゃれな家かと思いきや、そこにあったのは、住む人を重視した、シンプルで、まごころのこもった空間であった。

その空間を作り出したのは、建築士の能勢氏である。

最近はアートな建物が流行っていて、有名な建築家が作った建物を、雑誌や本でよく見かける。実際に足を運んだこともある。本やテレビで見るのとは違い、建物と同じ次元に立ってみると、その瞬間おしゃれな風景の一部となる。
建築家とは、そういうおしゃれな空間をつくる人たちだと思っていた。

ところが、能勢氏の口からは「おしゃれ」とか「かっこいい」とか、そんな言葉は全く出てこない。代わりに「機能的」であり「住む人のことを考えた」というまじめな答えだった。

だからといって能勢氏の建てる家が、機能性ばかりに走りすぎた無機質な家だというわけではない。

築80年になるという彼の改造した町家は、よくテレビや雑誌に紹介されるような、大きな商家ではなく、小さくひっそりと、両側に連なる家々と寄り添って建っていた。
町家というとよく言われる、暗い、狭いも、そのとおりだなと思わせる外見だったが、中に入って驚くのは、外見からは想像できなかった解放感と、そしてその明るさである。

二階の部屋を、ひとつ取り壊して吹き抜けに改修したらしいが、天井が高くなることで圧迫感は消え、そこに天窓をつけて光を呼び込んだところが、さらに部屋を広々と見せる効果をあげている。
部屋を照らす光は自然光なので、蛍光灯のように部屋の隅まで照らさず、穏やかな陰影をつける。柱や梁をわざと黒くしているのは、この光とのコントラストを楽しむためのものか。

住む人を重視した設計は、キッチンに最大限に活かされている。小さい子供のいる能勢家では、キッチンが家の中心にあり、食事の用意をしているときでも、子供の様子がよくわかるようになっている。

能勢氏の作る建物は、そこに住む人を変えるのではない。そこに住む人たちが、いごこちがいいように、住む人に合わせて作るのだ。当たり前のようで、実は一番大切なことであり、一番難しいことでもある。

「家はモノとは違うんです。生き物なんです。」能勢氏は語る。
バッグを買うように、服を買うように家を買って欲しくないそうだ。

「傷のついたバッグは買わんでしょう。服も汚れていたら誰も買わない。でも家は違うんです。家は生き物だから、傷があったり、ゆがんでいたり、少しのしみがあったりする。勿論、家として致命的ではない範囲内です。でも、その少しの汚れや傷を気にしすぎる。服やバッグと同じことを家に求める人が多いのです。」

「家を買うというより、一緒に暮らしていくような気持ちで買って欲しいのですよ。いいところも欠点も含めて一緒に暮らして欲しい。実はこの家も、まだ完成していないんです。住みながら、少しずつ創っていけたらなと思ってます。」

能勢氏は、家のことをまるで自分の友人かのように語る。

家が生きものであるという発想は、今までなかった。切り倒された木は、板に加工される。その時点で木は骸と化したと思っていたが、そうではなかった。その証拠に、木は湿気や温度によって伸び、縮みする。その伸び縮みを計算した上で、家は創られるそうだ。

木の床を素足で歩いてみる。足からしっとりした木の感触が伝わってくる。床には節があったり、赤ちゃんの積み木を落とした傷があったりするが、なぜか気にならない。そこから住んでいる人の息遣いを感じるからだろうか。

先日観た能のすり足を思い出す。すり足は、床から離れることなく前に進む。それは、歩くという行為が一体何なのかを考えさせるものだ。前に進むことではない。地面との対話である。
この家には、床との対話があるのだ。

小さいころに住んでいた古い木造の家での出来事。
誰もいない部屋でみしみし音がする。昔の人は、それを「座敷わらし」などと名前をつけたりしていたらしいが、あれは家の呼吸する音だったのか。

床や畳に耳をつけて、家を音を聞いていた。
小さいころは気づかす、家と対話していたのかもしれない。

動くといえば、彼の提案するのは動く間取り。
移動できる家具で、仕切りが自由自在。スペースも広がったり、狭くなったり。明日は友達が来るからスペースを広く、という急な変化や、子どもが大きくなったときのことをを考えたゆっくりとした変化にも、どちらにも対応して自由に変えることができる。

変化し続ける家。ここにも、家が生きているということを感じさせるものがあった。変化し続ける中に懐かしさを含む。能勢氏の創る家は、相反する2つのものがある。

人が「懐かしさ」を感じるとき、それはもっとも人が穏やかでいて幸せなときなのであろう。それは、決して変わることのない子どもの頃の幸福な気持ちで、音やにおいや肌触りによって、それが再び蘇り満たされる喜びである。

能勢氏の作る家とは、この喜びを再確認する空間である。
そして、共にこれからの懐かしさを作り出す空間ともいえよう。

その穏やかな記憶は、子どもへ、孫へと受け継がれる。

人はその幸せな記憶を家に託すのだ。
その壮大な流れの中に、古今東西の家々は、形をかえてもなお生き続けていくのである。

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「懐かさ」の記憶を訪ねて
   ―心地よい空間を創る ある建築士の「家」に対する思い―

(文/東京在住Yさん)